昭和46年08月29日 朝の御理解
御理解 第1節
「今、天地の開ける音を聞いて、目を覚ませ。」
信心の目を開けと言う事だろうと思います。信心しておると言う事が信心の目を開いたと言う事ではない。信心に依って目を開くと言う事は、御理解第百節一番最後の「めでためでたの若松様よ枝も栄える葉も茂るというではないか。金光大神は子孫繁盛家繁盛の道を教えるのじゃ」と、この御理解百節につながる程しの信心の芽が開けると言う事と、家繁盛子孫繁盛の道が開ける程しの信心、程しのおかげを受けると言う事が、信心の目を開いたと言う事になるだろうと思います。
ただ信心をしておる、金光様の信心を頂いておると言う事ではない。その御理解百節につながる様な信心の目が開ける、そこで家繁盛子孫繁盛と言うか、広大なおかげを受けられた先輩の方達の事を思うて見ますと、例えば甘木の初代安武松次郎先生なんか、人間が天地の御恩徳の中に生かされて生きておるのであって、天地の御恩徳を抜きにしたら人間生きて行くと言う事すら、又幸せになって行くと言う事等は到底出来ない。
天地の御恩徳を抜きにしては、その天地の御恩徳と言うことが分かったと言うのでなくて、天地の御恩徳が分かられて、その天地の御恩徳に対し奉って報恩の信心生活が出来られたと言うところに、甘木の初代の信心の目が開けたと言うのはそこのところだと思います。天地の御恩徳が分かったと言うのではなくて、毎日天地に対して報恩の生活をしとりますと言うのではなくて、報恩の信心をなさった。天の恩地の恩と言った様な事は金光様の信心じゃなくても、それを申します。
だからそこに感謝せんならん、感謝せんならんなんて生易しいものではないのですね。天地の御恩徳を悟られて、その天地の御恩徳に対し奉って報恩の信心がなされたところに、甘木の初代の偉大さがあった訳です。その様に信心の目が開けたんです。素晴らしい大変な事と思いますね。しかも先生の場合なんかもう、初めて金光様の御信心を頂かれたその時に、大変な感動を受けておられます。
天の恩という様なことは随分聞いては来たけれども、地の恩とか、土の恩徳と言った様な事を今迄かって聞いた事がなかった。むしろその土は汚れたもの、穢土として人間が踏み付けるだけのもの。天の恩は聞いておったけれども、大地の御恩徳とか、土の徳と言った様なものを聞いたのは今日が始めてと言う様に、それこそ足元から鳥が飛び立つ思いで感動しとられます。それ迄に至る迄にやはり考え方と言うのが違うですね。
ここに金光様と言う神様が出来なさったげなと、先生は生神様の様な人じゃげなと、どういう願い事でも日時をきって、おかげを授けなさるげなと言う話を聞かれて、それで近所の或る方にお導きを受けられた。ところがその前日に足を怪我されまして、歩けん様な状態になられた。そこで遥か小倉の方を拝まれて、そういう尊い神様に、いよいよ明日は御縁を頂こうと思うとりますのに、生憎その前日にこの様に怪我を致しまして、その当時は乗り物がないですから。
やはり草鞋ばきで歩いて行かねばならぬ時代、それがこういう状態では小倉までもお参り出来ない。どうぞ神様、そういう神様がござって私を本当に救って下さる、助けて下さる御意志があるならば、どうぞ一夜の中にでもこの私の足が治ります様にという願いを立てられたという事です。ところが、そういうさしもの怪我がですね、翌る日踏み付けて見たところが痛くない、もうそこで第一驚いとられます。
ああこの神様は大した神様だと思うて参られた。半信半疑じゃなかった。まぁあげん言われたから一ぺん参ってみよう、と言う様なものじゃなかった。そこにやはり偉い先生方は違うですね。佐藤宿老なんかの、初めて教祖様にまみえられた時に、今の丁度みかげ橋のところへ、まで見えた時に金光様の立教神伝のにある立教の家がありましょう。藁葺きの家のあちらの方を眺められてから、あの藪の中から金光様は、天地に通われる道があそこからついたんだと思われた。
天地を貫通しとられる、もう天地を貫いとられる方があの藪の中に居られると、あの当時は藪の中だったんでしょうからね。どうもその天地と直通しとられる、その金光様をそう頂かれた。普通では狐を使うじゃろうか、狸を使うじゃろうかと、そういう類の信心じゃろうと言う様なおもいやら見方をしておるのに、佐藤宿老の場合はそういう頂き方をなさった。何と大した神様じゃと言うて帰ったと言うておられます。この頃ここに修行に来ておりました、佐藤さんの曾おじいさんになる方である。
いわゆる信心の眼が開けた、そしてその開けたと言うのでなくて、その信心をなさった。甘木の場合でもそうです。今日はまた大変なこと、連れの方が時間が遅いからもう帰ろうと言われたけれどね、とにかく御理解を頂き出しなさった、とりわけ大地の御恩徳とか、水の御恩徳とか言う話を聞かれて立たれなかったと。そして連れの方に早く帰って貰って、最後まで話を聞いて帰られたと言う様な感動振りであった。
信心の眼と言うものが、もう本当のところに着眼され、本当のことが分かられ、そしてその本当のことに終生を賭けられた。一生を賭けられた、という処に甘木の偉大さ、佐藤宿老の素晴らしさがあったと思う。昨日、甘木の平田さんが突然お参りなさって、四国の天満教会の親先生、それから御養子夫婦それに総代さん方がお二人同道で参られました。丁度一時の御祈念の中でした。でまあいろいろお話を聞いて頂いたり、聞かせて頂いたりしたんですがね、平田さんこういう事を言うとられます。
もう平田製油、あちらは油屋さんですからね、もう借金が山程出来て、しかも抜きも差しも出来んところまで至って、それこそ甘木の初代に満州あたりに高飛びしょうか、いわゆる夜逃げでもしょうか、でなかったらもう自決するより道はないと、いうところまでのお届けされた。そしたら甘木の初代が仰しゃっとられる事がね、油屋の小僧じゃつまらんと仰しゃった。平田製油の小僧じゃつまらん、神様の小僧になれと仰しゃった。そんときにです翻然として信心の眼が開けたと仰しゃっとられます。
今迄は平田製油、平田製油、平田と言えば油屋とばっかり思うておった。それがね神様の油屋である、神様の小僧になれと言われた。どれだけ借金があっても、その借金はもう小僧のものじゃない、主人のものだと思え、そこに甘木の平田さんの信心の眼が開けた。もう一切合切が神様の御ものと言う事になってきた訳です。それでその時にああそうだと思うただけでなくて、なら現在に至るまで一切が神様の御物であるとして、信心生活が出来ておられると言う所に、甘木の平田さんの偉大さがあると思うですね。
信心の今天地の開ける音を聞いて眼をさました。その眼をさました事はそれこそ、幾千とも幾万とも人が助かる程しの事につながって来た。成程、家繁盛子孫繁盛の道が開けると仰しゃる、と言う道が平田さんの場合なんか出来ておる、と言う所へつながっておる。私は今、天地の開ける音を聞いて眼をさますと言う事は、いわゆるそれはお話を頂いてお話が天地の大音声とも聞こえる、今迄は天の恩は聞いたけど地の恩を知らなかった。始めて聞く地の恩、土の恩、御恩徳。
本当に今迄は相済まなかったとして、大地をいよいよ拝まれる、大地の御恩徳に対し奉って、大地の御恩徳に対し奉って報恩の信心生活が出来られる。天地に対して報恩の信心生活が出来られたと言うところに素晴らしさがある訳ですね。甘木の先生の場合。分かったと言うだけじゃない、分かっただけであったら、その御理解百節にはつながって行かない。分かってそれを行の上に表された、分かってそういう信心をなさったと言うところに甘木の偉大さがあるのです。
例えば先生の信心生活の上には、もう様々なそれこそ伝説的なお話が幾らも残っております。恐らくお道の信心のある限り、甘木の先生の信心はその様にして残るであろうとこう思う。一切合切が神様の御ものだと、それこそ一掬いの水の上にでも枯葉、枯枝一枚一本の上にも御恩徳を感じられた。でそれを尊び、敬いて頂き抜かれた。そういう信心をなさった。それはもう徹底したものであった。
そこに甘木の信心のまあ不滅なもの、金光教のある限り甘木の信心は何時いつまでも、そういうお道の信心の素晴らしいところを悟られた。しかも悟ったと言うて、だけではなくてそれを日常生活の上に表して居られた。そこに甘木のいわゆる御理解百節につながる所以がある訳です。天地の御恩徳を受けて、もうその御恩徳に対し奉って報いる生活をしなかったら、御理解百節につながらん。
お互いが願って止まないこと、それこそ祝い目出度い、それこそ若松様よと栄えて行く繁盛して行くということを、願わんものはありません。家繁盛、子孫繁盛の道を教えると仰しゃるが、そういう家繁盛、子孫繁盛を願わんものはありません。ただ願った丈けではおかげにならん、今天地の開ける音を聞いて信心の眼を開かにゃいかん、皆さんの場合どういう芽が開けて行きよるだろうか。
先日そこの野口さんが、ついこの頃までは久留米の野口さんじゃったけど、もう合楽の人になられたから、もうそこの野口さんと言う事になった。こちらへ移転して参られましてから、始めてお届けに見えた時に、もう親先生もう一切合切を神様の働きとしてもう頂く以外にはありません、とこう言われる。そうたい、これから又どういう事が起きるか分からんけど、そんときでも矢張り今あんたが思うている様に。
一切合切が神様の御働きとして、神様の御事柄としてそれを大事に敬い、畏んで頂いて行くことさえ出来れば、もう野口さんこれで愈々おかげは決まった様なもんばい、けどもさあ今迄はそうであった。合楽に御神縁を頂かれて、十何年なられるでしょうが様々の事があった。様々な事があったがどの一こととても、あれは困った事であったとは一つもなかった。それは痛いこともあった、はがいい事もあった、血の涙の出る様な事もあった。けどもそのことの一事一事が神様の御働きであった。
御事柄であったと、ここにこうおかげを頂かして貰って、分からして貰ったと言う事である。もう一切合切を御事柄として頂いて行く以外ありません。そうですこれからとても然し同じ事ですよ。私はそこに例えば、野口さんの信心の眼が開けたと言うのはそこだと言うこと。だからそれなら開けた丈じゃない、だからそこから、そこんところをですひとつの時点として信心の眼がひらけた。そこんところを言うならば信心の分岐点として、それから先をです。
一切合切が神の御なされ方であり、御事柄として、受けて行くと言う事がこれからの信心なんです。甘木の初代は、御ものとして、天地の御恩徳としてそれを受けられた。分かった丈じゃない、それを本当に身を以て一掬いの水でも、一本のタオルの上に於いても、下駄を履かれるでも、道を歩かれるでも、天地の御恩徳をひしひしと身に感じながら日常生活がお出来になられた。そこまで歩かれたらもう下駄を履き替えられた。勿体ない、片擦れしちゃ勿体ない。
タオルを使われるのに決して固く絞り切るという様な事をなさらなかった。弟子達が風呂を炊くのに師匠が喧しく言うから、今日はもう枯枝と枯葉だけで石炭を使わずに薪を使わずに炊いたら、師匠が喜ぶじゃろうと思うてそうした。ところが愈々、先生がお風呂に入られたら熱すぎた。これはお前、沸き過ぎとるじゃないかと仰しゃった。先生それでも今日枯枝と枯葉ばっかりで炊きましたと、もう金のかかったもので炊いとりませんと、こういう訳なんです。
そしたら甘木の初代が仰しゃった。枯枝やら枯葉は神様の御ものじゃないなと仰しゃった。もう徹底して行じられたと言う事なんです。そこにね甘木の初代が天地の御恩徳を悟られた、そこに開眼をされた。分かったと言うだけでなく開眼をなさって、そういう信心をなさったと言う事なのです。それが今天地の開ける音を聞いて眼を覚まされて以来が、そういう信心をなさった。だから御理解百節につながった。当時日本一と言われる程しの立派な教会が、幾千幾万とも言われるかの人が助かる様になってきた。
分かってそれを行じられたからです。そういう信心をなさったからなんです。ここでは御ものと言うことではない、ここでは御事柄として頂いておる。その為に成り行きを大事にして行け、成り行きを大事にして行けと二十何年間説き続けて来た。こう言う事は困った事だと向こうにおしやる様な事しちゃ出来ん。その事だって神様の御働きなのだから、御事柄なのだからとして成り行きを大事にして行く
。十何年にして始めて分かった。それは野口さんの言葉を借りるなら、もう親先生一切合切は、神様の御事柄として頂くより外にありませんと、信心の眼が開けて来た。開けただけでその翌日から、やはり甘木の初代が、枯葉、枯枝一本でも神様御恩徳のものとして頂かれた様に、どういう嫌な事やら困った事でも、それを御事柄として受けてゆくが信心。これからの野口さんの信心である。
これは野口さんだけの事ではない。それを分かっておるのは、合楽に御信心頂いとる人達が皆わかっている事なのです。過去の事を振り返って見て、あぁあれもおかげであったと分かりょろうが。それでこれからとても、それを神様の御働きとして頂いて行くという、これが言うならば大坪総一郎の開眼である。信心の開眼であったしかも開眼しただけでなくって、それを私自身が枯葉一枚枯れ枝一本とまで徹底しないにしても、それを神様の御事柄として頂いて行こうとして、一生懸命精進しておると言う事である。
だから私の生き方は、御理解の目出度、目出度の若松様よ枝も栄えりゃ葉も繁る、という事につながるんだと確信が段々強くなって来た。ところが甘木あたりの様に徹底した事が出来ません、一寸した事でもそげなことがあるもんのちゅうて御事柄でも言いよる。昨日もこんな事があった。昨日からこの辺の典楽会の沢山の人が集まって久留米で講習会があった。それで此処からは琴を四面貸してくれと言う事であったから。
ちゃんと荷造りしとって下さい頂きに来ますと言う事であったから、ちゃんと毛布に包んでから、いつでも取りに来てもよい様にしとった。ところが昨日朝、楽長の田中さんが参ってまいりまして、琴がまだ立てかけてあるものですから、未だ取りに来てないとでしょうか、私はしりませんから、ああそうのち言うとりました。そしたら電話かけて見ましょうと言うて、久留米教会に電話をかけた。
ところが市内のは取りに参ったけれども、未だ群部の、ここも市内ですけどね、遠い所まで行き合わせとらんと、済みませんがそっちから持って来て頂けませんでしょうかと、言いよんなさるとこう言う訳である。それならそれのごと昨日から言うときゃ、夕べでん電話かけときゃ、ちゃんと朝の御祈念には皆参って来とりますから、その人達に頼めばよかった。今頃、しかもこっちから電話かけてからどん、そげなこと言うてからと、言うてからですね私が文句いいよったです。
まあそげん言いよんなさるなら仕様がなかたい、誰かにお願いせじゃこてと、言いよるところに、高橋さんが参って来た。高橋さんの方では、四面も入らん訳ですよね。本当に前の日からもう合楽ばなめとるけんと、言うごたる思いが私にある訳ですよね。それを御事柄としてね、田中さん、神様の御都合じゃがと言えんならん筈です。これだけ言いよるとじゃけん私自身。
ところが、それならそれのごと前の日から電話かけて呉れればよかとけ、そうすりゃ朝の御祈念に沢山車持って来とるけん、ちよっと持って行ってもらうところにとこう言っているわけです。神様の御都合じゃが田中さんと、例えば田中さんが腹かきよったっちゃ、そう言わにゃならんとです。実際が御事柄ですから。そう言いよるうちに、永瀬さんが二度目の朝の出勤のときにまたお参りして見えた。そこで高橋さんは四人の楽人を久留米にのせて行きなさる。
永瀬さんは御承知の通り小さなトラックでしょうが、だから自分の車に乗せて行って下さったという事なのです。これが前の日から電話が掛かって来とったらどうだろう、それこそ無理をしてから、堤さんいっちょお願いしますと、誰彼れに言わにゃならじゃったじゃろうと思う。けれども向こうが電話を掛けて下さらなかったおかげでです、翌日は実に神ながらなそう言う事が出来ている。ちゃんと永瀬さんが久留米の方へおい出られるですからね、お勤めがしかも四面の琴を乗せられる様な車で来ておられる。
高橋さんは人間、こちらは琴のせて行かれる様に、ほんなその後に冷ゃっとするごとあるです。本当御事柄、御事柄と言いながら、何かどっこいと受けんならん様な事は受けよりますもんね。けれどもそういう些細なことは、その久留米の人達の不行き届きを責めよる。そんならそれのごと電話もかけんな、こっちが電話かけてからどん、そっちからもって来て下さいと、そんな事があるもんかい、他所のは取りげに行って俺りげのは取りに来んでと、言う様なものが中にある訳です。
だからもうほんとに水も漏らさんという様なおかげ頂く事は、そういう些細な事でもどうした事じゃない、それもおかげだと、神様の御都合だと言えれる事に精進してる訳なんです。次の瞬間にはもう、神様のちゃんと用意あってのこと。成る程あちらも忙しかろう、家からは態々と言う事じゃない、永瀬さんがあちらにお出でられるから教会に持って行って下さると言うおかげを頂いとる。
だから私どもが眼を開いておる、開眼をしておると言うだけではなくてね、それを日常生活のその些細のこと、いわゆる枯枝一本、枯葉一枚の上にでも心を使って行けれると言う信心、だから合楽ではそうなのです。御事柄として野口さんが言われる様に、もう一切合切が御事柄として受けて行く以外はありませんと、そうなんだ、そこが分かったらもう之からは、おかげ頂くばっかりだけれども。
これから又どう言う事が起きてくるやも分からん。これを一切合切いまあなたが言うておる様な気持ちで受けて行きゃ、いわゆる御理解百節につながると言う事なのです。もうこれは絶対のこと、だから皆さんも分かっただけじゃない、そういう頂き方が出来たら、どの様な素晴らしい信心生活が出来たであろうか、どういうおかげが受けられる。それこそ心が思わず弾んで来る様な気が致します。
いま天地の開ける音を聞いて眼をさませ、眼をさますと言う事は分かったと言う事ではなくて、分かった事を行に表して行く信心がなされると言う事である。天地の大恩徳が分った、だから天地に対して毎日、神恩奉謝の有難とうございますと言いよるだけではいかん。それこそ枯葉枯枝一枚の上でも仇や疎かに使われん、疎かに出来んという様な行き方を、甘木の初代はなさった。そしてああいう大徳を受けられた。
そしてああいう子孫繁盛の素を築かれた。私はそこん所を御事柄として開眼した。起きて来る一切のことは、神様の御事柄として受けて行こうという気になった。そこで私どもは、普通では受けられん様な事でも、どっこいとそれを受けて行かれる、おかげを頂いたけれども目が荒い、小さい事柄になると、もうどうしてじゃろうかのと言う様な事を言うておる。ここんところをもっともっと目ごもうね、行かなきゃならんと思うのです。
どうぞ。